松城町の歴史(その6)『浜松開誠館』 [松城町の歴史]

『浜松開誠館』

大正13年に「馬冷」に誠心高女(現浜松開誠館高校)が開校します。当時、男子には浜松中学校(現浜松北高校)、商業学校(現浜松商業高校)、工業学校(現浜松工業高校)がありましたが、女子は市立高女のみで西遠女子学園、浜松学芸高校の前身はまだ裁縫学校の域を脱していない状況にあり、こうした状況をみた実業家の長谷川鉄雄氏が松城の自宅3000坪を解放し、ここに女子学校を開校します。

はじめ4年制で定員が400名、次いで昭和2年に5年制定員500名となり、その年に新校舎が落成します。この校舎は浜松出身の建築家、中村與資平氏による設計で、一部を当時では珍しい鉄筋コンクリートで建てられました。昭和20年4月、空襲による火災で木造部分を焼失しますが、鉄筋部分は焼け残ったため戦後しばらくそこで授業が続けられたといいます。

昭和23年に木造校舎が落成、昭和35年には鉄筋コンクリートの3階建て校舎が落成し、以降次々に施設・設備の拡充がはかられています。平成10年に共学化となり、それに伴って学校名を「浜松開誠館中学校・高等学校」に変更。平成12年には、地上9階建ての新校舎が落成しました。


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