屋台誕生秘話 [浜松まつり]
今から60年も昔、まだ終戦間もない時期に、私たちの屋台はどのように誕生したのでしょうか?
そこで今回、大先輩のMさん(マ組凧印の図案者で現在でももちろん現役)に詳しいお話を聞くことができました。
昭和24年頃、青年会長を務めていたMさんが、当時の自治会長に屋台製作の協力をお願いしたところ、自治会長から「まつりなんかやるヒマがあったらうちの山で働け!」とまさに門前払い。協力を拒否されてしまいます。
そこで、血気盛んのMさん(今でも衰えていない・・?)はある日の夜、「コンチクショウ!!」とばかりに自治会長宅に若い衆を引き連れ、樽神輿を担いで家の中に練り込んだそうです。それでも気が治まらず、皆の制止を振り切って板塀にロープを掛け、オート三輪で引っ張り倒してしまいました。
いささかやりすぎてしまったMさんは、留置所に一晩お世話になってしまうのですが、この件で自治会長の息子さんと縁ができ(根負け?)、屋台製作を援助してもらう約束を取り付けたそうです。
なんとまあ、現代では有り得ない経緯ですが、Mさんの骨折りのおかげで松城町に屋台が誕生する事になったのです。
そこで今回、大先輩のMさん(マ組凧印の図案者で現在でももちろん現役)に詳しいお話を聞くことができました。
昭和24年頃、青年会長を務めていたMさんが、当時の自治会長に屋台製作の協力をお願いしたところ、自治会長から「まつりなんかやるヒマがあったらうちの山で働け!」とまさに門前払い。協力を拒否されてしまいます。
そこで、血気盛んのMさん(今でも衰えていない・・?)はある日の夜、「コンチクショウ!!」とばかりに自治会長宅に若い衆を引き連れ、樽神輿を担いで家の中に練り込んだそうです。それでも気が治まらず、皆の制止を振り切って板塀にロープを掛け、オート三輪で引っ張り倒してしまいました。
いささかやりすぎてしまったMさんは、留置所に一晩お世話になってしまうのですが、この件で自治会長の息子さんと縁ができ(根負け?)、屋台製作を援助してもらう約束を取り付けたそうです。
なんとまあ、現代では有り得ない経緯ですが、Mさんの骨折りのおかげで松城町に屋台が誕生する事になったのです。